転職時の退職一時金を企業型DCへ移せる?「受け取らずに運ぶ」が議論される理由

messageImage 1787526317527

会社から支給される一般的な退職一時金を、本人の希望で転職先の企業型DCなどへ直接移換する仕組みは、現時点ではありません。現在は関係団体から制度改正の要望が出ている段階ですが、転職しても老後資金を切れ目なく持ち運べる選択肢が増えることには、大きな意義があると考えます。

退職金は、転職する度に受け取るしかないのか

会社を退職するとき、勤務先の制度によっては退職一時金が支給されます。

住宅ローンを返済する。預金に置いておく。NISAで運用する。受け取った後の使い方は、基本的に本人が決めます。

一方で、転職するだけで、まだ老後は何十年も先という人もいます。そのような人から、次のような希望が出ても不思議ではありません。

「今は使わず、転職先の企業型DCへ持っていけないだろうか」

ところが、会社が独自に設けている一般的な退職一時金については、本人が希望しても、そのまま転職先の企業型DCやiDeCoへ移換する仕組みはありません。

退職所得としていったん受け取り、その後、預貯金やNISAなどで自分が管理することになります。

企業型DCには資産を持ち運ぶ仕組みがあるのに、一般的な退職一時金には同じ仕組みがない。この違いを見直そうという要望が、企業年金の関係者から出されています。

現在は「制度改正」ではなく「要望」の段階

最初に、現在地を正確に確認しておきます。

企業年金連合会は2026年7月31日、「令和9年度企業年金税制改正に関する要望」を公表しました。

その中では、企業から支給される退職一時金や中小企業退職金共済、いわゆる中退共から支給される退職金について、本人が希望した場合には、本人へ支給する時点で課税せず、確定給付企業年金(DB)、企業型DC、iDeCo、企業年金連合会の通算企業年金へ移換できるようにすることが求められています。

ただし、これは企業年金連合会からの要望です。法改正が決まったわけではなく、政府が具体的な制度案を公表した段階でもありません。

厚生労働省の有識者懇談会でも同様の意見が示されていますが、実現の時期や対象者、移換額、受入条件、受取時の税制などは決まっていません。

したがって現時点で、「近いうちに退職金を企業型DCへ移せるようになります」とは言えません。

正しくは、「個人単位で退職一時金を老後資産として持ち運べる仕組みが要望され、その必要性が議論されている」という状況です。

なお、会社が退職一時金制度から企業型DCへ制度全体を移行する場合には、現行制度でも一定の条件で資産を移換できます。

企業年金連合会の要望書では、現在は4年度から8年度に分けて移換する仕組みについて、一括移換も含め、1年度から8年度の間で柔軟に選べるようにすることも求めています。

今回の記事で中心にするのは会社単位の制度移行ではなく、退職一時金を本人の希望で転職先の企業型DCなどへ移す「個人単位の移換」です。

企業年金には、既に資産を持ち運ぶ仕組みがある

退職金を別の制度へ移すという話は、全く新しい考え方ではありません。

企業年金には「ポータビリティ」と呼ばれる仕組みがあります。これは、転職や退職などの際に、それまで積み立てた年金資産を別の制度へ持ち運ぶ仕組みです。

たとえば、企業型DCの加入者が転職・退職によって加入資格を失った場合、その資産を転職先の企業型DCやiDeCoなどへ移換できる場合があります。

確定給付企業年金(DB)の脱退一時金相当額についても、一定の条件を満たせば、転職先の企業型DC、iDeCo、企業年金連合会の通算企業年金などへ移換できます。

一方、中退共と企業年金制度との移換は、合併など一定の場合に限られます。中退共からiDeCoへの個人単位の移換は、現行制度では認められていません。

移換できる制度と条件は、厚生労働省のポータビリティ一覧で確認できます。

同じように会社が用意する退職後のためのお金でも、どの制度から支給されるかによって取扱いが異なります。

企業型DCで積み立てた資産なら別の制度へつなげられる場合があるのに、一般的な退職一時金は、本人が希望しても同じようにはつなげられません。

転職が珍しくない時代に、制度が追いついていない

かつての退職金制度は、一つの会社で長く働き、定年時にまとまった退職金を受け取る働き方と相性のよい仕組みでした。

もちろん、今も一つの会社で長く働く人は大勢います。「誰もが転職する時代」とまで言うのは正確ではありません。

それでも、転職は一部の特別な人だけのものではなくなっています。

総務省の労働力調査によると、2025年の転職者数は330万人、転職等希望者数は1,023万人でした。

転職時に退職一時金が支給されることがあります。20代や30代であれば老後まで長い時間が残っていますが、日常生活で使う預金口座へ振り込まれたお金を、何十年も老後資金として管理し続けるのは簡単ではありません。

意志が弱いという話ではありません。

お金に「これは40年後に使う分です」という名札は付いていないからです。

現金で受け取る方法に加え、企業型DCやiDeCoへまとめて運用を続ける方法も選べれば、働く会社が変わっても老後資金の形成をつなげられます。

そのような仕組みは、現在の働き方に合っていると思います。

「それならNISAでよいのでは?」という疑問

ここで、もっともな疑問が出てきます。

退職金を受け取った後も運用したいのであれば、NISAを使えばよいのではないでしょうか。

これは、そのとおりです。

NISAでは、対象となる投資から得られる売却益や配当・分配金が非課税になります。現在の年間投資枠は、つみたて投資枠と成長投資枠を合わせて最大360万円、非課税保有限度額は合計1,800万円です。必要なときには保有商品を売却できます。

医療や介護など予想外の支出にも対応できる点で、NISAの自由度には大きな価値があります。退職金の一部を預貯金として確保し、残りをNISAで運用する方法が合う人も多いでしょう。

ただし、NISAと、今回要望されている企業型DCへの直接移換は、役割が同じではありません。

NISAを使う場合、退職金はいったん本人へ支給されます。退職所得控除などによって税額が生じない場合もありますが、退職所得としての課税関係を整理した後、そのお金をNISAへ入れます。

年間投資枠があるため、全額を一度には入れられない場合もあります。

一方、企業年金連合会の要望は、退職一時金を本人へ現金で支給して終わらせず、移換時に課税せずに企業型DCやiDeCoなどへ直接つなぐ仕組みを求めています。

NISAは受け取ったお金を自由に運用する制度、今回議論されている移換は退職金を老後資産として制度内に残す仕組みです。

優劣ではなく、役割が違います。

企業型DCへ移せれば、必ず有利になるわけではない

仮に制度が実現したとしても、退職一時金はすべて企業型DCへ移した方がよい、という結論にはなりません。

転職時には、転居費用や当面の生活費、住宅ローン、教育費など、退職金を現在の生活に使う合理的な理由もあります。

企業型DCへ移した資産は、企業型DCの制度に沿って管理されます。現行の企業型DCは老後資金を形成する制度であり、原則として60歳になる前に自由に引き出すことはできません。

運用商品も、その企業型DCで用意されたラインアップの中から選びます。運用成果は保証されず、商品によって値動きや手数料も異なります。

また、制度化するには、転職先の企業型DCの受入条件、勤続期間の扱い、将来の受取時に他の退職金とどう調整するかなど、具体的な設計が必要です。

「移換時に課税しない」という要望と、「将来も課税されない」ということは同じではありません。

現時点では、将来の受取時の取扱いを断定できません。

現金、預貯金、NISA、企業型DCやiDeCo。

どれか一つを正解にするのではなく、本人が状況に合わせて選べることが大切です。

それでも、企業型DCへ持ち運べる意味は大きい

中立的に考えても、退職一時金を本人の希望で企業型DCやiDeCoへ移換できるようになることには、大きな意義があると思います。

企業型DCがNISAより有利だからではなく、現在は一般的な退職一時金を制度の中に残したくても、その選択肢がないからです。

自由に使えることは大切です。しかし、「自由に使わず、将来まで残したい」という意思も尊重されてよいはずです。

特に転職を重ねながら働く人にとって、勤務先ごとに退職金が分断されるより、一つの老後資産として引き継げる方が管理しやすくなります。

前の会社の退職一時金、転職先の企業型DC、個人で積み立てたiDeCo。出どころが違っても、本人にとってはいずれも将来の生活を支える資産です。

本人が望めば、それらをつないでいける仕組みが望まれます。

この仕組みが整えば、退職金制度は、一つの会社で長く勤めた人だけに合わせた制度から、働き方が変わっても老後資産を積み上げられる制度へ、少し近づくのではないでしょうか。

ただし、移換を義務にしてはいけません。

受け取る自由と、持ち運ぶ自由。その両方があることが重要です。

企業型DCが「導入する制度」から「つなぐ制度」へ

これまで企業型DCの支援というと、会社へ制度を導入し、従業員へ説明し、運用商品を選んでもらう仕事が中心に見えたかもしれません。

しかし、退職一時金の個人単位での移換が可能になれば、企業型DCの役割はさらに広がります。

新卒で入社した従業員の老後資金を積み立てるだけではありません。

中途採用した従業員が前の会社で形成した退職資産を受け入れる。自社を退職する従業員の資産を、次の勤務先やiDeCoへつなぐ。

企業型DCが会社の中だけで完結する制度ではなく、働く人のキャリアをまたいで老後資金をつなぐ制度になる可能性があります。

もちろん、これは制度が実現し、企業型DC側の受入条件や手続きが整備された場合の話です。

それでも、企業型DCの将来像を考える上で重要な視点ではないでしょうか。

企業には、受入条件や規約、社内手続きをどう整え、中途採用者へどう説明するかという課題が生まれます。

従業員にも、現金、企業型DC、iDeCo、NISAなどから選ぶ判断が必要になります。

制度上の選択肢が増えただけでは、企業と従業員が実際に使える選択肢にはなりません。

制度上の選択肢を、判断できる選択肢へ変える

ここに、DCコンサルタントの役割があります。

DCコンサルタントは、退職一時金を企業型DCへ移すよう勧める人ではありません。

現行制度と要望段階のことを分け、企業型DC、iDeCo、NISA、退職一時金の違いを整理する。

本人が自分に合った選択を考えられるように支援する。それが役割です。

企業側では、経営者や人事担当者、社会保険労務士、税理士、運営管理機関などとの連携も必要になるでしょう。

DCコンサルタントが全てを担うのではなく、必要な人をつなぎ、全体を整理することが大切です。

企業型DCの導入支援は、掛金の拠出を始めれば終わる仕事ではありません。入社から退職・転職まで、老後資金をどうつなぐかを考える仕事です。

制度改正を説明するだけでなく、その制度を企業と従業員が使える形にする。

正解を決めるのではなく、正解を考えるための判断軸を伝える。

企業型DCの役割が広がれば、DCコンサルタントの仕事も広がります。

企業の制度と、そこで働く人の長いキャリアをつなぐことに関心を持つ人にとって、取り組む意味のある仕事ではないでしょうか。

最後に(まとめ)

転職時に会社から支給される一般的な退職一時金を、本人の希望で転職先の企業型DCへ直接移換する仕組みは、2026年8月時点では実現していません。

企業年金連合会などから制度改正の要望が出されている段階であり、具体的な制度設計や実現時期は決まっていません。

現金で受け取った方がよい人も、預貯金やNISAが合う人もいます。仮に企業型DCへの移換が可能になっても、全員の正解にはなりません。

それでも、転職が珍しくない時代に、退職一時金を老後資産として持ち運べる選択肢が増えることは、前向きな変化だと思います。

退職金は、会社を辞めるたびに区切られるお金でなければならないのでしょうか。

働く場所が変わっても、老後に向けた準備は続いていきます。

「受け取る」だけでなく、「将来へ運ぶ」ことも選べる。

企業型DCが、会社の中だけで完結する制度から、キャリアを通じて老後資金をつなぐ制度へ進むなら、その変化を企業と従業員へ届ける人も必要です。

制度上の選択肢を、実際に判断できる選択肢へ変える。

そこに、これからのDCコンサルタントの価値があるのだと思います。